「麺食ツアー」(太原コース)「10月18日太原での昼食」「10月18日平遥での夕食」


麺食ツアー(太原コース)
10月18日から20日までは、4コースに分かれての観光ツアーである。ただ、ほとんどが敦煌か洛陽コースで、太原コースを選んだのはさぬきうどん研究会真部会長など麺関係者5名と一般の参加者2名(ご夫婦)の7名であった。
西安から太原まで北に向かって800km、飛行機で1時間ほどである。
真部会長や香川社長は13年前に麺交流団として訪れたことがあるとのことであった。
ただ、前回は中国の麺関係者の案内で家庭まで入っての麺交流であったが、今回は旅行社が企画した観光付きツアーである。食事は全て場所まで決められている。そんな条件のなかでどこまでディープな麺ツアーができるのかが問題で、それは我々とガイドとの交渉にかかっていた。
太原空港に出迎えに来てくれた現地のツアーガイドに、私は早速我々ツアーメンバーの構成とツアーの目的を説明した。ガイドは太原に在住の若い女性で日本語は決して上手いとは言えないが、非常に誠実で、私たちの要望をよく聞いてくれた。


10月18日太原での昼食
10月18日到着後早速昼食である。太原市内の「康荘森林度假村」という店内が森の中にあるように設定された大きなレストランであった。
料理のメニューは旅行社によりすでに設定されているようであったので、太原でのこれからの料理は麺の種類を沢山食べられるメニューに変更するようガイドに依頼した。最初の店では早速ご飯と饅頭をカットし麺に変えてもらった。(中国では麺の字は今「面」と書く。)
ここで食べた麺は「刀削面(ダォシャオミェン)」「拉面(ラーミェン)」「紅面(ホゥミェン)」「猫耳朶(マオアルドゥオ)」の4種類である。
4種類の麺
「刀削面」は麺の生地(硬い生地)を手で持って小さな刃物で削り跳ばしたものを茹でる、また「拉面」は手延べ麺で、柔らかい生地を何回も手で伸ばして細くしたもので、すでに西安に紹介した。
「猫耳朶」の材料は蕎麦というので、嗅ぐと確かに蕎麦の香りがした。ただ麺は猫の耳の形をした小指の先ほどの大きさの麺であった。作り方はまず生地を賽の目に切り、親指で麦わら帽子の上などで押しつぶすようにして作るとのことである。
これら作り方や原材料の異なる麺を、トマト風味や醤油風味、カレー風味など6種類のつゆを好みでかけながら食べるのである。
「紅面」の材料は高梁(コーリャン)で、麺の色はやや赤みがかっている。形は刀削面のような太い切り麺で、蒸籠で蒸して作るとのことである。
かけつゆたち
我々麺関係者は、西安での麺交流では讃岐うどんを提供することが手一杯で、ほとんど麺を味わうことができなかったので、初めて味わう中国の本格的な麺料理、「紅面」や「猫耳朶」を口にして皆大喜びであった。
太原の観光としては、「晋祠」(紀元前11世紀晋の祖、唐叔虞・・・周の地方長官を称えて作られた祠)と「喬家大院」(清代中期に栄えた大きな商家を一般公開した博物館・・・中国映画「赤い夢」のロケ地となり注目された。)を見学し、平遥に向かった。
太原から南に約100km、直線の広い道路だが路面は荒れていて車はよく揺れる。また道路の車幅一杯使って車同士が追越するので、左右にもよく揺れた。小さなマイクロバスで1時間半くらい田園風景の広がるなかを走って、平遥(古城)に着いた。

10月18日平遥での夕食
平遥での夕食はホテル麗澤苑国際酒店のレストランである。ここでもこちらの要望をいれてもらって3種類の麺を出してもらった。
「楸片(シュービェン)」「筱面佬佬佬(ユウミエンコロロ)」「抜蘭子(バッランス)」である。
「楸片」は麺の生地を大根摺りのような道具(抿節床)に押付けて削り板の下から出た小さな麺片を茹で、かけつゆや具材をかけて食べる麺である。
翌日、平遥の街を観光していて、リヤカーに道具一式を乗せて移動しながら、「楸片」を売り歩く夫婦に出会った。一食を作るのに1〜2分、その素早さにも感心した。価格は5元(80円)で近くの従業員達は毎日これを昼食としているとのことであった。我々も毎日昼食はうどんなので、香川の麺食文化と本当によく似ていると思った。
「筱面佬佬佬」の材料は筱麦とのことである。餃子の皮のような麺を蒸籠(せいろ)で蒸し、醤油味で炒めたもので、焼きうどんのような味であった。
3種類の麺
楸片を作る
また「抜蘭子」は小麦粉にジャガイモを混ぜた麺とのことであるが、麺を何かで小さく削り、炒めたものである。味は塩味であっさりしていた。
平遥は1500年の歴史のある街で、周辺の古寺双林寺と鎮国寺とともに世界文化遺産に指定されている有数の観光地の一つである。ただ日本では今一つなじみが薄く、観光客のほとんどは欧米人か中国人のようであった。
平遥の城壁(長さ6.4km)をくぐり一度城内に身を置くと、数百年以上前の中国(明、清時代)にタイムスリップしたような気分になるほど、町並みが当時のままに保存されている。差し詰め日本の高山か倉敷を大きくしたような感じであるが、人々の暮らしは相当田舎っぽく、これまた平遥ののどかな雰囲気を盛り上げているように思えた。